最近『全て自分の内側にある』ってよく耳にする人も多いんじゃないかなと思います。 わたし自身もそう思ってるし言ってる。そんな中の人のひとりです。
で、そうなんだけど、そうじゃないこともあるなってわたしは思っているんです。
何か起こったとき、私の場合、自分自身のことになると「私」の中に原因を探しやすい。
何でもかんでも理由つけて自分の中に答えを探しすぎると、自虐みたいになって、自分を大切に扱うことと離れていくこともある。
知らぬ間にどんどん潜りすぎて気付いたら周りは真っ暗な深海やで。笑
だからって他の何かのせいにするのとは違う。
フィルターに気づく、ものごとをそのままみようとする。
時にはみたくなかったり、よぎったことを消したくなったり、色んな感情が湧いてくることだってある。
だけど、「深海がある」って知っていたら、立ち止まれるんですよね。
わたしには、それに気付いたエピソードと、カラダの天才先生に質問して、こんな風に見てるよ。って教えてくれた時に書いてたメモがある。
自分の視点、視野が狭くなってる時、頭がカチカチになってきて絶賛、固定概念キャンペーンになりそうな時、たまに見返すんです。
そして、ピラティスでその人の大切なカラダを見させてもらう時
その人のこころの内の話を聞く時にも
とても大切にしています。
だからいつでも思いだせるように。
今ここにいながら、主観的から客観的にみることを。
バランスの法則のように、これも人間が心地よく居られる自然の摂理なんじゃないかなって思うんです。
何かにぶち当たってる時は、主観!主観!!主観キャンペーン!みたいになって、この冷静さが欠けたりして
ふと一般常識の枠にはめられたり自分ではまりにいってたり。
特に私たちは自分のこととなるとそうなりやすい。
だけど知っていたらまた真ん中に戻れるし、「こういうこともあるんだな」って安心できる。自分に優しくなれる。
そしてもちろん、その上でドンピシャに枠内の事もある。
なんか、春になってよくくしゃみでるね。
これは花粉症や!とか。
それはやっぱり真ん中でいる『全て自分の内側にある』こその、ドンピシャかなって思っています。
自分の感覚に触れるように、自分の見方にも愛をもって優しくありたいと思うこの頃です♡