嫌いという感情
ブログのはじめでこのタイトルどうなん?? ってめっちゃ思った。最初だし私のピラティスのきっかけやインテグレートヒーリングのことを書こうと思っても、まぁ手が動かず、気分も乗らず、この事しかスラスラ書けなかった。笑 つい最近タイムリーの出来事だからかな。大昔。私にひっつかれすぎてめっちゃ嫌そうな姪っ子。笑
先日、1人の友人の笑顔の写真を見て うっ。ってなった。 受けつけない感じ。なんやろ。。食べたくないものを口の近くまで持ってこられてる、その口までの感覚が、胸あたりまでにズドンとくる感じ。難 その友人が昔、陰で私の悪口を言ってたのは知ってる。もちろん私にも非はある。ただ、その事を知った当時はショックだったし、腹も立った。 その時直接言えや! ってその子がいないのにも関わらず怒っていたのを覚えてる。(周りごめん笑) だけど、「今」の私は彼女に陰で文句言われようが褒められようが何しようが感情を揺さぶられる事はない。 『あー彼女の場所で幸せであったらいいな。私と生きていく場所は違うけど。』 って本音で思うくらい。 だからもし、他の子がその子の事を悪く言っていても、一緒になって盛り上がるとかいう気もさらさらならない。くらい本音。 なのに何故?? 本当に見れないの。笑顔なのに。 なんか、拒否反応。 私をよく知る友人達にこの話をしても、いつもならピンとくるのにこの時はなんかしっくりこない。 数日後何気なくその話をしている時に、母が 「珍しいな。あんた嫌いとかもあんま言わへんしな。何なんやろうな。お母さんもわからんわ。」 っそれを聞いてはっ!と気付いた。 あーー私彼女の事が嫌いなんだって。 遅!!今!?って自分に突っ込み入るくらい遅くて笑えた。 何でこんなにわからなかったのって 私自身が、私の嫌いって感情に対してリンクしてなかったのだ。 そして、これが嫌いだって気づいたと同時に、嫌いだと思ってた人が嫌いじゃなかったことに気付いた。 最近の私の嫌いな人イコール 何が出来事があって嫌な思いをした時、 「あーーーあいつやっぱ気合わんわ!嫌いやーー!!ムカつく!!叫」 (口悪くてすみません) とか 昔だったら 「ほんまよーやるわ。」 って私のしたい事を思いっきり楽しんでる人が羨ましくてその事に気付かず嫌いや苦手にすり替えてた。 だから『何か』あったことに腹を立てたり、いいなをすり替えてただけで、 その人自体が嫌いなわけじゃなかったやん。 って改めて気づけた。 こんな事不謹慎だと思う人もいるかもしれないけど、私はその事に気づけた事が嬉しくって嬉しくって!! その子にありがとうを心の中で告げた。 だって自分の感情とぴったりリンクしたんだもん。彼女のお陰でまた自分のことを知れた。 自分とつながること以上の美しさってないと思ってる。 新たな発見に心が踊った話
投稿日 2019/06/30